明治期、矢野恒太という人物がいた。第一生命の創業者、優れた経済人である以外にも、多くの社会貢献を成し遂げた人物だ。清貧を貫き、財産・名誉・地位などはくだらないものと切り捨て、自伝的なものを好まなかった人物なので、事績の割にはあまり知られてはいないかもしれない。
この人物を興味をもって少し調べた事がある。数々の逸話や語録が残っているが、もちろん、自分とは全くかけ離れた偉人なので、リタイア後の自分の生活という点では参考になるという事は少ない。
一点、「無形の富」に関しては、部分的かつ解釈を少し変えてはいるが、これからの生活自分にも参考になった。
彼は、「人間は、無一文で生まれてきたのだから無一文で死ぬのが理想だ」という言葉を残している、「DIE WITH ZERO」(読んでない)とつながる発想なのかもしれない。【だからといって、「DIE WITH MAX」があほとか、死ぬとき金銭的にゼロに近づけるべきとか、そんな短絡的に考えているわけではない。】「無形の富」とは、「知識、経験、文化資本」など物理的な形を持たない資産というのが基本。彼は、趣味においても、仕事においても「無形の富」を大切にした。
ただし、自分は今後の生活を考えた時に、「金があっても、なくても、心が豊かになる事、楽しい生活がおくれる事」が「無形の富」と自分で解釈(曲解)した。【もちろん、金はないよりあった方がいいのは間違いないが、、、、】
「無形の富」は、個人のおかれた価値観や能力によっても違うと思う。「有形の富」と二律背反しているとも思わない。例えば、株の売買で儲ける才能が有り、それが楽しいのであれば、その人は、「有形の富」の他「無形の富」も持っているというのが自分の理解だ。自分には資産運用の才能はないながらも、ある程度、考えながら、楽しみながら資産運用ができている。それは、中くらいな「無形の富」と小さな「有形の富」をもっていると言っているだろう。仮に、もっと儲けたい、人より多くの資産を持ちたいといった事を考えた時点でストレスになり、「無形の富」さえ失ってしまう。自分に合ったスケールで、楽しめる範囲でやれば、少なくとも「無形の富」は維持できる。
他にも知識欲とかいろいろ思索にふける事が好きな事も自分の「無形の富」かもしれない。若いころは、運動神経は割とよかった方なので、スポーツを楽しむ、それも自分の無形の富だったのであろう(今はよれよれで見る影も失っているが)。
セミリタイアブログを見るとき、「FIRE」論的なのはあまり見ていない、一部の自慢ブログも、(性格がひねくれているせいか)正直リアリティがなく見えてしまう。
しかし、資産運用や節約系の具体性あるブログを拝見し、「面白い生活」の参考にしている。完全に同じ事は出来ないが、いずれも、自分自身が衰えていく中でも、自分の「無形の富」を維持していくのに役立っている気がする。
ま、自分はそういうヒントは供給できてはいないのはわかっている。 が考えるとストレスになるので、、、、

